剣と日輪
 十月五日、公威が創案し、西武百貨店専属デザイナー五十嵐九十九が手懸けた制服が、楯の会隊員に支給された。褐色の軍服仕立ての、
「ベルサイユのばら」
 にでも出てきそうな華麗なる楯の会の制服は一着三万円で、百着仕立てられ、隊員に無料で配られたのだった。
 隊員達の内三月に自衛隊体験入隊を果した二十名には、四月二十九日の昭和天皇誕生日に制服が配布されていた。その時も、
「流石ド・ゴールフランス大統領の軍服を手懸けたデザイナーの、作品だな」
 という感佩(かんぱい)に祖国防衛隊員達は咽んだものだった。この度も同様の感念が、隊員に湧き上がっていた。
 楯の会隊員は、五十嵐九十九がこの流麗なミリタリールックを独創したと信じたのであるが、実際は殆ど公威の注文通りに作成されたものであった。公威が特に拘(こだわ)ったのは襟、袖当ての緑色のベルト、上着のベルトの下、腰の側面に縦に配した切れ込みにかかる真紅の縁取りである。
 公威は自衛隊の制服を、
「野暮ったい作業着のようだ」
 と嫌っていた。嘗て帝国陸海軍の制服が国民の憧れの的であったような、そういう制服を楯の会隊員には着せたかったのである。公威の思惑通り、真新しい華美な制服に身を包んだ隊員は、公威と同じ服を着衣することによって、連帯感を一層強めたのだった。
 公威はユニフォーム姿の隊員を伴って虎ノ門教育会館で、楯の会結成記者会見を開いた。結成式に招待者は無く、公威は日学同特使として三月に体験入隊をした五名を含む四十名の隊員を前に、結成の意義と決意を高説した。公威の、
「私はこの会の中心として闘死する覚悟である」
 と拳を振り上げたリアクションに、食らいつくように陶酔する隊員がいた。八月に祖国防衛隊に入隊した小賀正義である。学生長には持丸博が任命され、以下のような、
「楯の会規約草案」
 が定められたのである。
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