剣と日輪
 と貶(けな)し、
「単なる駄々っ子である」
 と断定した。
「国際反戦デー」
 や、
「大学紛争」
 を検断する限り、そう結論付けざるを得ないのである。
「つまり全学連とは、卑怯な弱者の論理を振りかざす、頭のおかしな連中の集まりなのだ」
 これに対し、
「我々が崇敬する特攻隊の論理は全然違う。後に続くものを信じ、玉砕していくという崇高な論理なのだ。どちらが未来を切り開くか、正邪は明白である。だからこそ私は諸君に期待しているのだ」
 と公威は日学同を持ち上げた。手法は異なるが、目的はただ一つなのである。
 公威の、
「文化防衛論」
 は、三年前東南アジア諸国で実見した、
「君主制と共産主義者の接近」
 に対する危機感に端を発している。
 タイでは、共産主義政治団体愛国戦線の構成員が政治集会を終えた後、国王を讃える歌を合唱していたのを不思議な心持で間近にしたし、ラオスでは三分の二の国土を支配する共産主義者のパテート・ラーオが形だけとはいえ国王を敬愛し、君主制共産主義なる異形政権を保っている国情に、小首を傾げたものである。
 このような異常な政体は、君主が文化、軍隊と懸離れていたから起きたのである。だとしたら日本にも現出する可能性があった。こうした危機的状況を未然に防ぐには、
「文化の総覧者、軍隊の最高統率者としての天皇」
 を復活させなければならない。
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