剣と日輪
 公威はそう深慮し七月に、
「中央公論」
 誌上で、
「文化防衛論」
 と題する論文を展開していた。
「文化防衛論」
 は種種の批判に曝されたが、公威は屈することなく、説いて回った。
 十一月に山本一佐が自宅を訪れた際にも、東南アジア諸国の憂うべき国勢に言及し、
「日本で、こうした君主制共産主義体制ともいうべき事態が起こる可能性はあるでしょうか」
 と公威は質問した。
 重い発議に山本一佐は言葉を発しない。が、公威は山本一佐の意見を汲取ってしまった。山本一佐の震える口元はこう白状していた。
「若し正当な選挙で共産党が政権を掌握(しょうあく)しても、その政権が海外の共産主義勢力に操られるものでなければ、恐れることはないのではないか」
 公威は、
(現役の自衛隊幹部がこれか)
 と舌打ちせざるをえない。だが表には出さず、他に話柄を転じたのだった。両者の会話が精彩を欠いたのは言うまでも無い。
 日本学生同盟結成二周年記念中央集会は、午後四時に閉幕した。日学同の学生達は会の成功を祝って高田馬場へ繰り出し、酒宴を持った。宴会は盛り上がったが、一時間後、高柳光明がふと席を見渡すと、何名かが欠けていた。主席に居た必勝を始め、西尾俊一、田中健一、鶴見友昭、野田隆史、小川正洋達数名だった。
(何処へ消えたのだろう)
 高柳と同じ疑慮に襲われている、宮崎正弘と目が合った。
(三島さんと会ってやがるな)
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