剣と日輪
 公威は邦子の、
「仔犬のワルツ」
 に耳を傾けた。
(僕に聞かせたがっている)
 公威は、ピアノの波長をそう受け止めた。理屈は無い。公威は第六感で、そう得心したのである。怖い位素敵な空(くう)青(せい)だった。
 三谷との惜別を出汁(だし)に、公威はちょくちょく三谷家に通った。三谷も平岡家にやって来たが、概して公威の外出の方が頻繁だったのである。
 邦子は美脚の持主だった。公威は女体というものに魅惑されなかったが、邦子の稀少なスカートから溢れている二本の脚線美に惹かれた。
 邦子は素顔で、足先に靴下を通していた。処女の色香がした。公威にとって清楚なものは、最上の魅力だった。
 公威は荘厳なる戦時下に青春を送り、清尚なる愛国心に殉ずる戦士の端くれである。更に国文学の天賦の才に恵まれ、その確証たる、
「花ざかりの森」
 は直書店の店頭を飾るであろう。
 そして世人が、
「三島由紀夫」
 の才筆に驚殺(きょうさつ)された時日(じじつ)には、公威は英霊となって靖国神社に祭られているのである。この至高のエピソードに、ロマンスが加味されれば一層引立ち、
「三島由紀夫」
 伝説は不滅の光を放つであろう。
 公威は人生を賭けたストーリーのヒーローを、演じなければならない。公威の自作自演のレジェンドは、
「邦子」
 というヒロインを得て、完成に近づきつつあった。
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