剣と日輪
十月十五日、
「花ざかりの森」
が僅々一冊であるが製本化された。諸般の情状により、発売日は遅々としている。その上十七日に見本を受け取った公威は、七丈書院のいい加減さに慄然とならざるをえなかった。
短編集には他に、
「みのもの月」
「世々に残さん」
「祈りの記」
「苧菟(おっとお)と瑪耶(まや)」
が収録され、全編で二百五十頁。定価は五円。表紙の装画は徳川義(よし)恭(のり)が担当し、物資の不足していた昭和十九年、そして二十歳の無名の大学生の本にしては贅沢(ぜいたく)な書物だった。
しかしながら、作者の略歴の生年月日が大正四年生まれとなっており、これでは公威は三十になってしまう。
(何というへまをやらかすんだ)
公威は七丈書院の“仕打ち”に憤(いきどお)ったが、この日は三谷が群馬県前橋にある陸軍予備士官学校に入学するので、離京する日になっていた。上野駅へ送別に行かねばならなかった。
(取り敢えず上野駅へ行こう)
其処には邦子も来ているであろう。公威は鬱憤(うっぷん)を包裹(ほうか)しつつ東大の学生服に身を包み、上野駅へと急いだ。
三谷は雑然たる駅舎内で公威を発見すると嬉々として呼び止め、一冊のノートを手交した。公威がぱらぱらと捲ると、散文詩集だった。
「君に上げるよ」
三谷は破顔している。
公威に触発され、三谷も色々書いていたのだ。その詩文の能才は公威とは比較にならないのは、三谷も自認している。
(形見の積もりか)
「花ざかりの森」
が僅々一冊であるが製本化された。諸般の情状により、発売日は遅々としている。その上十七日に見本を受け取った公威は、七丈書院のいい加減さに慄然とならざるをえなかった。
短編集には他に、
「みのもの月」
「世々に残さん」
「祈りの記」
「苧菟(おっとお)と瑪耶(まや)」
が収録され、全編で二百五十頁。定価は五円。表紙の装画は徳川義(よし)恭(のり)が担当し、物資の不足していた昭和十九年、そして二十歳の無名の大学生の本にしては贅沢(ぜいたく)な書物だった。
しかしながら、作者の略歴の生年月日が大正四年生まれとなっており、これでは公威は三十になってしまう。
(何というへまをやらかすんだ)
公威は七丈書院の“仕打ち”に憤(いきどお)ったが、この日は三谷が群馬県前橋にある陸軍予備士官学校に入学するので、離京する日になっていた。上野駅へ送別に行かねばならなかった。
(取り敢えず上野駅へ行こう)
其処には邦子も来ているであろう。公威は鬱憤(うっぷん)を包裹(ほうか)しつつ東大の学生服に身を包み、上野駅へと急いだ。
三谷は雑然たる駅舎内で公威を発見すると嬉々として呼び止め、一冊のノートを手交した。公威がぱらぱらと捲ると、散文詩集だった。
「君に上げるよ」
三谷は破顔している。
公威に触発され、三谷も色々書いていたのだ。その詩文の能才は公威とは比較にならないのは、三谷も自認している。
(形見の積もりか)