剣と日輪
エッセイ、論文、戯曲と小説以外のものも精力的にこなした。全て楯の会を維持していく財源だった。
所が公威が全身全霊を注ぐ楯の会内部では、この時期、亀裂が生じ始めていたのである。皹(ひび)は、
「論争ジャーナル」
グループから走った。
「論争ジャーナル」
は共産主義・無政府主義に傾倒していく出版界にあって、公正な立場から世論を喚起(かんき)しようとしていた冊子である。世評は共産主義・無政府主義者が主流を占め、まともな事を書けば即、
「右翼」
と罵られる世態だった。
当然ながら発行部数は年々落込み、
「論争ジャーナル」
は経営不振に陥っていたのである。
「楯の会」
の無償活動をしている場合ではなくなっていたのだ。
編集長の中辻和彦、副編集長の萬代潔、編集次長の持丸博等は、
「論争ジャーナル」
が生活の糧だった。
彼等は、財界に資金援助を求めた。公威が日経連の桜田代表常任理事から恥辱を受けて以来、
「我々は、我々だけで立つ」
と財界からの支援を峻拒(しゅんきょ)しているのは百も承知だった。背に腹はかえられなかったのだ。田中清玄という以前から何かと、
「論争ジャーナル」
を支援してきてくれた学生運動通の財界人が、中辻等のエールに応え、資金を供与してくれた。
所が公威が全身全霊を注ぐ楯の会内部では、この時期、亀裂が生じ始めていたのである。皹(ひび)は、
「論争ジャーナル」
グループから走った。
「論争ジャーナル」
は共産主義・無政府主義に傾倒していく出版界にあって、公正な立場から世論を喚起(かんき)しようとしていた冊子である。世評は共産主義・無政府主義者が主流を占め、まともな事を書けば即、
「右翼」
と罵られる世態だった。
当然ながら発行部数は年々落込み、
「論争ジャーナル」
は経営不振に陥っていたのである。
「楯の会」
の無償活動をしている場合ではなくなっていたのだ。
編集長の中辻和彦、副編集長の萬代潔、編集次長の持丸博等は、
「論争ジャーナル」
が生活の糧だった。
彼等は、財界に資金援助を求めた。公威が日経連の桜田代表常任理事から恥辱を受けて以来、
「我々は、我々だけで立つ」
と財界からの支援を峻拒(しゅんきょ)しているのは百も承知だった。背に腹はかえられなかったのだ。田中清玄という以前から何かと、
「論争ジャーナル」
を支援してきてくれた学生運動通の財界人が、中辻等のエールに応え、資金を供与してくれた。