剣と日輪
 丑三つ時だけに、オカルトっぽい幻惑がすんなりと受入れられる。
(まあ、いい。下天のうちを暮らぶれば、夢幻の如くなり、という。何れ全ては無に帰すのだ。それにしても、不思議な少年だった)
 公威はペンだこをさすりながら窓を開け、爽やかな夜風に頬を当てた。そして夜空を見上げ、現世の不可思議さをしみじみ味わったのである。
 
 三月一日から二十八日にかけて楯の会第五期生三十名を引率して、必勝と公威は自衛隊富士学校へ体験入隊をした。五期生を指導しながら、公威と必勝は最終計画を練りに練り、誰を行動に加えるか密議を凝らした。
 必勝が先ず決起に参入させたかったのは田中健一だった。田中は百メートルを十秒台で駆け抜ける俊足を持ち、日大紛争の際全共闘の学生の足を木刀で骨折させる等、武闘派の筆頭に上げられる隊員である。必勝と小林荘で同居しており、祖国防衛隊を旗揚げした折の同志で、活動に専心すべく亜細亜大を中退してしまった激情家でもあった。一昨年の大晦日の午後十時から二晩徹夜して、昭和四十四年一月二日に六年ぶりに復活した皇居一般参賀へ一番乗りを果たし読売新聞に報じられた、行動家である。公威の作品は全部読破しており、
「若し私に男の子ができたら、公威と名付けていいですか」
 と公威に許しをこうた位公威を尊奉(そんぽう)していた。
「是非田中を加えましょう。彼なら喜んで身命を御国に捧げるでしょう」
 必勝は断言した。ただ田中は今帰省中だった。彼の実家は福井である。地元の名家だと聞き及んでいる。祖父が名士で北一輝や中野正剛とも親交があったらしい。
「私が福井へ赴いて、田中を説きましょう。彼なら一目散に馳せ参じるでしょう」
「そうか。じゃあ頼む」
 自衛隊滝ヶ原分とん地の寄宿舎内の一室で、師弟は他の信頼できうる最高の人材を物色した。
「最終計画」
 には五名が最少必要人員だと二人は目算している。
「後二名」
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