剣と日輪
「果たし得てない約束 私の中の二十五年」
 と題するエッセイを載せた。
「戦後二十五年を、鼻を摘(つま)んで通り過ぎてきた」
 と述懐し、復興を誇る高度経済成長時代の日本を真向から否定した公威は、欺瞞に満ちエコノミックアニマルに成り下がった同胞を冷笑し、悲観的な予見をしている。
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっている」
(三島由紀夫と楯の会事件より)
 
 空前の経済的繁栄期に差し掛かり、一億総平和ボケの昭和四十五年にあって、公威の炯(けい)眼(がん)は孤高の波浪に喘ぎ、衰微(すいび)しかかっていた。未来のみが公威の理解者であり、魂の拠所(よりどころ)なのであった。
 必勝は最後の夏休みを迎えた。同年代の大半は企業戦士として多事忙殺され、大学生達は社会へ出るまでの、束の間の学生生活をエンジョイしている。必勝達だけが別だった。必勝、小川、小賀の三人は、
「俺の人生は後三月」
 と自ら限定したのだ。二十数年の生涯に恥じ入ることなどは無く、公威の義挙に殉じられる栄誉が全てであった。
 七月に必勝は小川、小賀と北海道へ旅した。三人の連帯感を培い、今生への未練を断ち切るラストジャーニーである。公威が三名に八万ずつ与え、
「思い切り楽しんで来い」
 と送り出してくれたのである。
 三人は何もかも忘れて、七月の北の大地に遊んだ。気にかけるようなことは無い。
「楽園とは此処の事か」

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