剣と日輪
 三人は、
(楽園とは志性(しせい)の裡にあるんだな)
 と大覚したのである。
 三人の同志を北に遊ばせた公威は、西へ向っていた。豊饒の海最終部天人五衰の取材旅行で、奈良市山道に在る晋門円照大禅寺を目指したのだった。法華寺、中宮寺と並んで大和三門跡寺院に数えられる、尼寺だった。四回目の訪問で、公威は山本静山門跡にやっと面通りできた。非公開の寺院なので深閑(しんかん)としており、コンパクトな本堂円通殿は茅葺(かやぶき)だった。殿内には木造如意輪観音像、後水尾天皇の塑像が安置されている。茹(う)だるような熱暑だったので、白のワイシャツにズボンといったシンプルないでたちで門跡と膝を交えた。
 門跡は昭和天皇の妹である。大正天皇の御子三笠宮崇仁親王と双子で大正四年十二月二日に出生したが、当時は男女の双子は前世で情死したカップルの生れ変りという迷信があった。
「皇室の尊厳に傷がつく」
 ということで、戸籍上或る華族の子とされた。更に農家に里子に出された上、八歳で出家させられ爾来仏門にある。五十四歳の門跡は、実に数奇な半生を辿っていた。
 公威は暑気に強い。というより大好きである。冬生まれだが、寒さに弱く暑さに強かった。正座を崩さず門跡と清談(せいだん)に耽った。門跡も汗が吹き出るような高温など何処吹く風といった法衣を着こなし、その清雅な坊主頭が処女のまま入跡した香気を漂わしていた。
(誠に法外の人。迷運に操られた女仙人)
 公威は言い様の無い感銘に打たれた。
(ああいう人がこの世に居るんだな)
 門跡は、
「人の心は無いものを映したり、有るものを見えなくさせる。心の修養こそ、仏法の花咲く楽土を築く元やないやろか」
 と結んでくれた。
「心」
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