剣と日輪
「心です。それ以外は幻どす」
 公威は、
「美」
 なる魔物に執着してきた。
「それは幻だった」
 と言うのか。
「美は幻なのでしょうか」
「それも心心やないやろか」
 公威は泰然として動じない簡素な庭園に、心を抉(えぐ)られた。
(何も無いのだ。夢幻でさえない)
 公威は平安を垣間見た気がした。
(平安とは、恐ろしいものだ。この世を超越した神の心とは、こんな何もないものなのか)
 恐怖心に慄(おのの)きながら、公威は円照寺の山門を出た。すると現世のさざめきが、耳にできたのだった。
(円照寺には音さえなかった)
 公威は暑(しょ)月(げつ)に、冷や汗をかいていた。ハンカチで額を拭うと、東に向けて歩き去ったのである。
 
「おい、海いこ」
 必勝は帰省していた。同じく金沢から帰省中の上田茂を、三度目の海水浴に誘った。必勝は真黒に日焼けして健康体そのものだ。死滅とは最も縁遠い若者であろう。
「うん」
 茂も上半身の皮が剥(む)けて、ひりひりする位だった。必勝、茂の義兄弟は磯津の浜へ連れ立ち、泳ぎまくった。二人とも水泳が得意で、丸で河童のようにすいすいと何処までも遊泳できた。
 海の家で焼きそばとカレーを平らげた二人は、松林の木々の間に寝そべった。さっき海の家で必勝が昼飯を奢ってくれたが、財布には聖徳太子の一万円札が、三十枚は入っていた。
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