剣と日輪
「もう帰っても構いませんか?」
 と上目遣いで尋ねた。
「どうぞ」
「では、失礼します。公威」
「はい。失礼します」
 公威は梓に手を引かれ、戸外に引っ張り出された。太陽の光輝に親子は曝(さら)され、その眩しさに地面が揺掉(ようとう)している。梓は五十二という壮齢であったが、軽々と疾駆している。公威も父に引き摺られ、馳駆(ちく)している。さっき、
「肺浸潤」
 と診察された病人の体ではなかった。
 梓は背後を顧みない。振り向けば兵士が追尾しているかもしれない。そして、
「さっきのは誤診だった。直ちに入営するように」
 と苦笑しているような胸騒ぎがしてならない。二人はいもしない鬼を振り切らんと、晩冬の野中の一本の坂道を逃亡然たる狂態で駈けた。
 梓と公威は、小川に架かる土橋に辿り着くと、息を切らして静止した。丸太にしゃがみ込み、元来た道を遠望している。高岡厩舎はもう視界の外にある。梓は天上を仰いだ。公威も釣られて冬空には珍しい天空に見入った。
(高い空だなあ)
 梓は、
(これ程清清しい空は、終(つい)ぞ拝めまい)
 と覚り、公威の肩に手を置いた。公威は父の腕を無視して胸中呟いた。
(俺は死地に赴く事を拒絶された。生きねばならぬ)
 公威の心境は複雑だった。
「特攻隊に志願して、華と散りたい」
 という願望と、
「生き抜いて、小説を書きたい」
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