剣と日輪
 と平岡家の未来を託したのである。
 寝室に入ると、瑤子が寝息をたてていた。
「お休み」
 公威は右頬にキスをし、布団を被った。
「最後の一夜」
 を、公威は普段どおりに過ごさねばならなかったのである。
 午前八時、公威は清清(すがすが)しく覚醒した。洗面所で髭剃りをしていると、瑤子から電話がかかってきた。瑤子は何時もどおり威一郎と紀子を、車でお茶の水女子大学附属小学校と学習院初等科に送り届けた後、馬事公苑に乗馬の練習に向う途中だった。用件をたまたま思いついて家政婦に連絡してきたのである。
 家政婦が用事を聞き、受話器を置こうとしたその時、公威が受話器を引っ手繰(たく)ったのだった。公威らしからぬ乱雑さに、家政婦は徒(ただ)ならぬものを感じた。公威はばつが悪そうだったが、構わず瑤子と会話した。
 瑤子は公威に、
「これから乗馬の練習に行くから。夕方までには帰るわ」
 と知らせた。
「ああ、そうか」
 公威はそう返答しただけで、受話器を降ろした。夫婦の会話はこれで、永遠のものとなってしまったのである。
 午前十時前、公威は楯の会の制服に錦の袋に包んだ愛刀、
「関の孫六」
 を引提(ひっさ)げて両親の住む離れに挨拶に行った。倭文重は家庭裁判所調停委員の仕事で、外出していた。梓は炬燵(こたつ)で暖をとり、公威に見向きもしなかった。
「行って来ます」
 公威はそれだけ言うと、母屋へ戻った。十時に益田陸将に、
「十一時に伺わせて頂きます」
 と電話した。益田陸将は、
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