剣と日輪
「お待ちしています」
と快答してくれた。
次いでNHK記者の伊達宗克と、サンデー毎日記者の徳岡孝夫に、
「十一時に市ヶ谷会館に御出でください。田中か倉田という者が案内します。所用が済み次第、駆けつけますので。腹を割って話をしましょう」
と電話した公威は、二人に、
「NHKと毎日新聞社の腕章」
及び、
「カメラ」
を持参するよう促した。両人共、何だか分からないが兎に角、
「スクープを三島さんが用意してくれるのだ」
と発奮して応諾したのだった。
十時十三分、小賀が平岡邸の門内に公威を出迎えるべく入った。コロナは平岡邸の七メートル手前の道路脇に、駐車してある。公威は、
「一寸早いなあ」
と笑みをこぼし、奥へ入ると、三通の書と封筒を小賀に与えた。
「これを古賀と小川と共に、読んでてくれ。命令書だ」
「はい。車中で読みながらお待ちします」
小賀がコロナに戻り、小川、古賀に命令書と封筒を分けた。必勝の分は無い。封筒には三万円ずつ入っていた。そして、
「命令書」
の一文は以下のような記述であった。
「今回の事件は楯の会隊長たる三島が計画、立案、命令し、学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上当然のことなるも、森田必勝の自刃は自ら進んで楯の会会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範をたれて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭(な)かしむる凛烈(りんれつ)の行為である。三島はともあれ森田の精神を後世に向って恢(かい)弘(こう)せよ。しかし、ひとたび同志たる上はたとい生死相隔たるともその志に於いて変わりはない。むしろ死は易く生は難い。敢て命じて君を難苦の生に残すは予としても忍び難いが、今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。あらゆる苦難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進(まいしん)せよ」
(年表作家読本三島由紀夫より)
と快答してくれた。
次いでNHK記者の伊達宗克と、サンデー毎日記者の徳岡孝夫に、
「十一時に市ヶ谷会館に御出でください。田中か倉田という者が案内します。所用が済み次第、駆けつけますので。腹を割って話をしましょう」
と電話した公威は、二人に、
「NHKと毎日新聞社の腕章」
及び、
「カメラ」
を持参するよう促した。両人共、何だか分からないが兎に角、
「スクープを三島さんが用意してくれるのだ」
と発奮して応諾したのだった。
十時十三分、小賀が平岡邸の門内に公威を出迎えるべく入った。コロナは平岡邸の七メートル手前の道路脇に、駐車してある。公威は、
「一寸早いなあ」
と笑みをこぼし、奥へ入ると、三通の書と封筒を小賀に与えた。
「これを古賀と小川と共に、読んでてくれ。命令書だ」
「はい。車中で読みながらお待ちします」
小賀がコロナに戻り、小川、古賀に命令書と封筒を分けた。必勝の分は無い。封筒には三万円ずつ入っていた。そして、
「命令書」
の一文は以下のような記述であった。
「今回の事件は楯の会隊長たる三島が計画、立案、命令し、学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上当然のことなるも、森田必勝の自刃は自ら進んで楯の会会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範をたれて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭(な)かしむる凛烈(りんれつ)の行為である。三島はともあれ森田の精神を後世に向って恢(かい)弘(こう)せよ。しかし、ひとたび同志たる上はたとい生死相隔たるともその志に於いて変わりはない。むしろ死は易く生は難い。敢て命じて君を難苦の生に残すは予としても忍び難いが、今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。あらゆる苦難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進(まいしん)せよ」
(年表作家読本三島由紀夫より)