剣と日輪
花ざかりの森編三島由紀夫
 平岡公威は大正十四年一月十四日に、東京市四谷区永住町ニ番地で出生した。下には三つ下の妹美津子(みつこ)、五つ下の弟千之(ちゆき)がいる。性格は典型的なA型で几帳面で生真面目である。代々加賀前田家に仕官した漢学者の血を引いて無類(むるい)の読書家だった母倭(し)文(ず)重(え)に似たのか、幼児期より本に親しんだ。
 父梓は、
「公威になんとしても大蔵省の役人になってもらい、農林省官僚として、彼等から受けた恥辱の数々を晴らしてもらいたい」
 という役人根性で公威を育てていた。公威が子供らしからぬ詩文に浮かれて試作品を執筆していると目敏(めざと)く探知し、草稿を破棄してしまう例も屡(しばしば)あった。
 公威は学習院中等科二年生時処女短編、
「酔模(すかんぽ)」
 を学習院の交友会である輔(ほ)仁(じん)会の文芸部が発行していた、輔仁会雑誌に掲載した。
「酔模」
 は先輩や教師の度肝を抜き、先人の鼻を明かした公威は、創作に覚醒したばかりであった。梓の妨害に怒り心頭に発していたが、その都度倭文重に宥(なだ)められ、新しい原稿用紙を与えてくれたので、親子喧嘩の憂き目は体験せずに済んだ。
 公威は梓に隠れて文才を磨いていった。学習院中等科五年のおり、
「花ざかりの森」
 という小説を脱稿した。この作品は公威の終生の師清水文雄等四人が編纂(へんさん)していた月刊同人誌、
「文芸文化」
 の九月から十二月号にかけて連載されたのだった。
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