剣と日輪
 倭文重は何事も無かったかの如く作業場へ復帰し、公威は便箋(びんせん)を取出した。躊躇(ためら)いは全く無く、筆が軽快である。公威は苛立(いらだ)たしくなる位感情をオブラートに包み込み、
「今は未だ、私の気持ちは、結婚云々(うんぬん)よりも、卒業後の進路の方に向けられております」
 と結語(けつご)した。飽く迄も品行(ひんこう)方正(ほうせい)な学生を装(よそお)ったのである。
 公威は翌朝、座間へ向かう途中、郵便局迄自ら断絶の速達を運んだ。女性の局員に封筒を差し出した際、公威の右腕が奇妙に震えた。
 三つ編みの局員は、別れの書文をひょいと摘(つま)んで、実務化したのである。
(渡ってしまった)
 公威は郵便局を出た。俄(にわか)雨(あめ)が制服に降注ぐ。傘は持合せていない。
(濡れてしまえ)
 公威は、
(何もかも、洗い流せよ、梅雨の空)
 と詠(よ)んだ。
 悄然(しょうぜん)と、歩調を進めていった。
(青春が、死んでゆく)
 公威は、そう悲観せずにはおれなかった。

 五月にドイツが降伏してから、枢軸国は日本のみとなっていた。日本は唯一国で、連合国と激闘していたのである。最早アジアの解放や石油の確保といった目的はなく、母国防衛の一点のみで、大和民族は血みどろの犠牲を払っていたのだ。凄惨(せいさん)な日々としか、言い様が無かった。
 八月に入ると、公威は原因不明の高熱に冒され、ふらふらになりながら、世田谷の一家の疎開先に帰ってきた。公威はそのまま寝たきりとなり、灼熱の暑中を暮らした。
 六日に広島に原子爆弾が投下され、九日には長崎も壊滅した。
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