剣と日輪
 それから間も無く公威は、
「邦子さんが、東京帝大出の銀行員と婚約した」
 と風の便りで知った。公威は邦子の婚約話には、
「迷惑をかけた」
 という負い目しか感受しなかったが、美津子の早逝には、後悔のみが残った。あの、
「あ・り・が・と・う」
 の清音の記憶と共に。
 公威は、一月の内に次々と襲いかかって来た精神的ダメージに打ちのめされていた。戦後という猥雑な時世が、徐々に列島をカラフルな闇に包蔵していく。公威の小説は掌を返したように、出版界から敬遠されていきつつあった。
 公威の持込原稿を、
「展望」
 の臼井編集長より薦められた、筑摩書房顧問の文芸評論家中村光夫なんかは読書後、
「話にならん。点数を付けるとしたら、マイナス百二十点だ」
 と侮蔑さえした。
 公威の作品は、
「大和心」
 が基調を成している。戦時中絶賛されたその精魂は敗戦以降タブー視され、弾圧されていきつつある。公威は満二十歳にしてもう、
「時代遅れ」
 というレッテルを貼られてしまったのである。戦前賛美されていた、
「楠木正成」
 は天皇制の狂信者、修身の元として嫌忌され、
「吉田松陰」
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