剣と日輪
を謳(うた)い、社会的弱者を無暗(むやみ)に持ち上げて取入り、
「民主主義政党」
を名乗って、世俗(せぞく)を侵食(しんしょく)している。
公威は、小林多喜二や太宰治といった、
「プロレタリア作家」
を嫌忌(けんき)していた。
「彼等は日本が、ソ連の一社会主義共和国になればいい、と思っている。共産主義者には、平和を求める心も愛国心もない。彼等は皇族を皆殺しにし、ソ連の意に沿って世界を征服して、共産党幹部の意のままに国民の財産までもコントロールし、奴隷に仕立てあげようとしている」
公威は左翼・革新と称する共産主義者の真意を、そう見破っていた。
ところが世界情勢は、ソ連がドイツを撃破して東欧を勢力下に収め、中国に分派した中国共産党が国民党軍を各地で打破っているのである。人類はファシズムの脅威を打ちのめしたばかりであったが、早くもファシズムよりもより破壊的で人権を侵害する、コミュニズムという独裁政治の暴威(ぼうい)に、晒(さら)されていた。
「皇室の藩屏(はんぺい)」
たる華族は没落し、世路(せいろ)には、
「カストリ雑誌」
なる低俗な冊子が、産まれては消えていく。
公威のような、
「日本文学の正統なる継承者」
が頭角を現す素地が、世(せい)途(と)には希薄であった。
(俺はもう、今の世に迎合(げいごう)できない)
公威は世相を嘆嗟(たんさ)し、小説家になるという志操(しそう)を、半(なか)ば諦(あきら)めかけていた。
新宿で性の苦汁(くじゅう)を味わって数日後、矢代が昼休みに東京帝大の学食で、面白い話をしてきた。矢代はニヒルな笑貌(しょうぼう)で、
「今度僕は、太宰治と会う事になったんだぜ」
と自慢した。
「民主主義政党」
を名乗って、世俗(せぞく)を侵食(しんしょく)している。
公威は、小林多喜二や太宰治といった、
「プロレタリア作家」
を嫌忌(けんき)していた。
「彼等は日本が、ソ連の一社会主義共和国になればいい、と思っている。共産主義者には、平和を求める心も愛国心もない。彼等は皇族を皆殺しにし、ソ連の意に沿って世界を征服して、共産党幹部の意のままに国民の財産までもコントロールし、奴隷に仕立てあげようとしている」
公威は左翼・革新と称する共産主義者の真意を、そう見破っていた。
ところが世界情勢は、ソ連がドイツを撃破して東欧を勢力下に収め、中国に分派した中国共産党が国民党軍を各地で打破っているのである。人類はファシズムの脅威を打ちのめしたばかりであったが、早くもファシズムよりもより破壊的で人権を侵害する、コミュニズムという独裁政治の暴威(ぼうい)に、晒(さら)されていた。
「皇室の藩屏(はんぺい)」
たる華族は没落し、世路(せいろ)には、
「カストリ雑誌」
なる低俗な冊子が、産まれては消えていく。
公威のような、
「日本文学の正統なる継承者」
が頭角を現す素地が、世(せい)途(と)には希薄であった。
(俺はもう、今の世に迎合(げいごう)できない)
公威は世相を嘆嗟(たんさ)し、小説家になるという志操(しそう)を、半(なか)ば諦(あきら)めかけていた。
新宿で性の苦汁(くじゅう)を味わって数日後、矢代が昼休みに東京帝大の学食で、面白い話をしてきた。矢代はニヒルな笑貌(しょうぼう)で、
「今度僕は、太宰治と会う事になったんだぜ」
と自慢した。