モザイク
また叫んだ。
大江にも女の声は届いた。それも“モザイク”と言う今の大江が一番畏れている言葉だ。聞き逃すわけがない。
「モザイク・・・。」
背中に冷たいものが流れる。そして、取り乱した。
<逃げなきゃ・・・逃げなきゃ・・・。>
譫言のように繰り返した。
しかし、大江の思いとは裏腹に、バスを待つ列はいっこうに動かない。限界だった。
「ど、どけぇ。」
そう言いながら、列を無視し先に進もうとした。
「おい、あんた。みんな、待っているんだよ。何してんだ。」
大江の後ろにいたサラリーマンが、肩をつかんだ。
「うるさいっ。」
サラリーマンに拳を振り下ろした。サラリーマンは、大きく後ろに吹き飛ばされた。しかし、大江はそれだけでは気が済まなかった。不安でたまらない心を、虚勢を張ることで守りたかったのかも知れない。倒れたサラリーマンを何度もけ飛ばした。
そして、そのままバスに乗り込んだ。列に並んでいる誰もが大江を睨んでいた。しかし、さっきのサラリーマンのようにはなりたくないと、誰もが思った。口を噤んだまま、ただ見ていた。
それはバスの運転手も同じだった。うつむき、大江と目を合わせないようにしていた。
「おいっ。」
大江は凄んだ。
「は、はい。」
気の弱そうな運転手だ。さっきの光景を目の当たりに、完全に萎縮していた。大江が凄む必要はないように見えた。
「すぐにバスを出せ。」
「で、でも・・・。」
このバスは到着したばかりだった。だから、まばらにしか乗客は乗っていない。素直に「はい。」と言えるわけもなかった。
すると大江は運転手の胸ぐらを掴み、もう一度言った。
「バスを出せ。」
「は、はい。わかりました。」

ブザーが鳴った。自動ドアがゆっくりと閉まる。そしてバスは走り出した。

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