さよなら異邦人
僕が小学校に上がるちょっと前までは、声優になるんだとか言っていたのを微かに憶えている。

声優だよ。

僕の同級生には、そういうのに憧れている女子は居るけど……

声優になろうと思った理由が、たまたま電話で話す声が素敵よ、とか言われた事でらしいんだけれど、本当に軽いっていうか、何にでも興味を持つっていうか。

あっ、僕と同い年位の頃は、ボクサーを目指していたと聞いた事がある。

試合で使うグローブやトランクス、シューズまで買って置きながら、結局はジムにも行かなかったらしい。

そんな父の唯一変わらない夢。

小説を書いて芥川賞を取る事。

この理由も、人に話すと笑われちゃいそうなんだけど、『龍之介』という名前のせいなんだ。

ちなみに読み方は、『たつのすけ』

残念な事に『りゅうのすけ』じゃないんだ。

たつのすけって呼ばれると、真顔で、

「りゅうのすけと呼べ」

と怒る事さえある。

芥川龍之介と名前が同じだからといって、小説家になろうっていうのもある意味すごい話だけれど、その割には書いている小説はちっともそれらしくない。
 
僕が小学生の頃は、たまに原稿用紙を山ほど買って来て、それを僕の勉強机にドカッと置いては、腕を組んだまま何も書かずにうんうん唸っていた事はあった。

でも、ただの一度もマス目に文字は書かれた事はなかったけどね。

買って来た原稿用紙は、その殆どがメモ用紙に成り下がってしまった。

それが、今はケータイ小説とかいうのがあって、それにちょこちょこ書いているらしい。

五十三歳のオッサンがケータイ小説……

恥ずかしくて、息子の僕は秘密にしているけれどもね。






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