no drug no future
私達は12月の終わる頃には、完全にMagicから六本木のspiceという箱に移っていた。
spiceはMagicに比べかなり広い。
きっと十倍はあるくらいの広めの箱だった。
場所柄からか、かなりのお客さんが平日でも入っていた。
知名度も高いこのジャン箱は週4、5もサイケのイベントが行われていた。
前までの私達はMagicしか知らず、サイケは週一回しかやっていなかった。
だから必然的に週一しか通わなかったけど、spiceは殆どやっていたから、好きなとき、暇さえあれば通った。
当然、薬をする日もかなり増えた。
私達は凄い勢いでサイケフリークの仲間やプッシャーの知り合いが増えた。
これがまた悪夢の始まりだった。
spiceはMagicに比べかなり広い。
きっと十倍はあるくらいの広めの箱だった。
場所柄からか、かなりのお客さんが平日でも入っていた。
知名度も高いこのジャン箱は週4、5もサイケのイベントが行われていた。
前までの私達はMagicしか知らず、サイケは週一回しかやっていなかった。
だから必然的に週一しか通わなかったけど、spiceは殆どやっていたから、好きなとき、暇さえあれば通った。
当然、薬をする日もかなり増えた。
私達は凄い勢いでサイケフリークの仲間やプッシャーの知り合いが増えた。
これがまた悪夢の始まりだった。