先生は何も知らない
 思考に更ける川嶋に、女性教諭は更に話を続ける。
 基本的に女の話が好きでない川嶋は少し渋い顔をしたが、またいつもの無表情になり、彼女の声に耳を傾けた。

「斎藤さんって、川嶋先生の話は素直に聞くんですよね」

 その時、川嶋は漸く気付いたのだった。彼女は、斎藤の数学のクラスの担当ではないか。川嶋は、彼女の言葉に何と返せば良いのか分からず、気まずい空気を感じ、その元凶である斎藤の数学のプリントを二つ折りにして出席簿の間に挟んだ。

「あ、もう授業行きます? じゃあ私も一緒に……」

 彼女はそう言うと授業の準備を始める。川嶋は、プリントを挟んだ出席簿をじっと数秒間見つめた後、ゆったりと口を開いた。

「素直に聞く聞かないの前に、」

 川嶋は席を立ち、隣に立つ女性教諭を見た。背の高い川嶋が、彼女を見下ろす形となる。

「斎藤さんは、元から素直な生徒ですから」

 川嶋の口調は、穏やかである。
 そして、いつもは堅く引き結んでいた唇も、優しげに緩められていたのだった。

 女性教諭は、川嶋のそんな表情を真っ直ぐに見ることが出来なかった。
 何事にも無関心を決め込む男だと思っていた。
 しかし、この男は不意にこんなに優しい笑みを零す。
 それは、いつも斎藤に数学を教えている時だった。そして今も、斎藤を思ってかそっと頬を緩めている。

 女性教諭は、沸々と胸の奥で、嫉妬の念が育っていくのを感じていた。
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