先生は何も知らない
「教師をからかって遊ぶのは止めて下さい」

 川嶋は少し冷たく言った。わざわざそんな態度を取ったのは、さっきまで斎藤の言葉を信じて精一杯励ましていた自分が恥ずかしく思ったからだ。そのことを見抜いた斎藤は、意外に可愛い先生だよな、と感心する。

「嘘吐いてごめんね先生。うち、猫は飼ってるけど牛は飼えないんだ」

「一般の家庭で牛が飼えないのは当たり前です」

 斎藤はクスクスと笑う。
 此処は職員室だから静かにしなさいと川嶋が窘めるが、斎藤は止まらない。

「先生、可愛いね」

「そんなことはありません」

「じゃあ、あたし可愛い?」

「そんなこともありません」

 川嶋もつられて笑ってしまいそうになった。だが笑わない。此処は職場。

「すき焼き、羨ましい?」

「牛は食べません」

「先生ってヒンドゥー教なんだね」

 牛を食べないなど、嘘だ。川嶋はすき焼きが好きである。昨夕に食べたという斎藤が羨ましいが、川嶋はその気持ちを隠した。

「数学やらないなら、もう帰って下さい」

「やだー。ちゃんとやるから、怒らないで」

 教師の間では「問題児達と連んでいるから、大人しい顔をして裏で何をしているか分からない」と、そう言われている斎藤だが、彼女はこんなに人懐っこく笑う。
(誰と連むかなんて、斎藤には関係無いのではないか)
 誰と一緒にいても、斎藤は斎藤なのかもしれないと。川嶋は最近そう思っている。

 本当にマイペースな人間は、どこまでもマイペースなものだ。
 だが川嶋は知らない。
 斎藤の笑顔は、川嶋の前でしか見られないことを。
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