先生は何も知らない
■先生、人間は何故足掻く
「先生、あたし、あの子には負けたくないの」

 斎藤は数学の教科書をギュッと抱き締め、絞り出すように言った。二階の階段の中段に立つ川嶋は、三階との間の踊り場に立つ斎藤を見上げる。
 川嶋は一年の授業のために一階へ向かうところだった。早く行かないと授業に間に合わないのだが、声を掛けられた以上無視は出来ない。

「あの子、とは?」

 川嶋は尋ねた。あと二分で授業が始まる。

「カノジョだよ」

 斎藤の返答は答えになっていない。
 カノジョ? 彼女? 誰のことだろうか。

「あの子、性格悪いの。わざわざあたしの前でアイツとイチャイチャして。……だから負けたくない」

(ああ。)
 と、川嶋は気付く。彼女とは、斎藤が以前付き合っていた男子生徒の今の彼女のことだろう。
 男子生徒をアイツと呼んだ斎藤の声には、未練が混じる。

「何を、負けたくないの」

 川嶋は質問を重ねた。目を潤ませる斎藤を労るように、出来る限り優しく。

「期末テスト。他は全部負けてるから、もうそれしか無いの」

 斎藤の頬に、ポロリと雫石が落ちた。
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