僕たちの時間(とき)
 そんな気持ちをもう一度味わいたくて……同じ会話を水月にも繰り返してほしくて……感じた胸の痛みから目を逸らしたくて、わざわざ僕はそのセリフを持ち出したのだ。

 一度繰り返した会話を、もう一度聞きたいと思った。

 それだけだった。


 ひとこと呟いたまま次の句を続けずに、何も言わず彼女は僕の手を強く握り返す。

 ――それは彼女のサイン……。

「2作目も3作目も……『ハリー・ポッター』の映画が公開されるたびに、聡くんと観に行きたいって、思ったんだもの……」

 待っていたものと違った彼女のその返答は、心を逆撫でするように、ざわざわとした感触を僕の中にもたらした。

 何故だろう…? こんなにも耳を塞ぎたくなるのは。こんなにも、彼女の次の言葉を聞きたくはないと思ってしまうのは。

 僕を真っ直ぐに見つめ、ふいにふわりと、彼女が笑う。


「本当に嬉しかったの。――ありがとう、もう叶えられないと思っていた“夢”を叶えてくれて……」


 ―――ズキン…!!


 にっこりと笑った彼女の笑顔が、僕を刺した。

(やめてくれよ……!)

 ここにまだ、“それ”を受け入れられない“僕”が居る。

 逝かないで。

 そばに居て。

 離れてしまうことを受け入れないで。

(そんな風に言うなよ……!)

 泣き出したいくらいの衝動。

 抑えきれない苛立ち。

 どうしようもない焦燥感。

 決して目を逸らさないと誓ったのに……目を塞ぎたくてたまらない。

 何も見ずに済むように、眼球そものもを抉り出してしまいたくなるくらいに。


 ―――こんなにも弱い“僕”を、僕はまだ心の片隅に、抱えている………。


「忘れないでね」

 笑顔のままで、彼女は言った。

「ずっとずっと、忘れないでいてね。今日のこと……この花のこと……、―――私のこと……」

 そして、握り締めていた僕の左手ごと両手を祈りの形のように組み合わせると、目を閉じて、そこに軽く唇を寄せる。

「お願いだから……“枯れない花”で、ずっと、いさせて……」

 左手に伝わる温もりは、かすかに小さく、震えていた。
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