僕たちの時間(とき)




 それから僕の日常は、呆気ないほど簡単に“それまでの日常”に戻った。

 葉山は、放課後に声楽室で僕がピアノを弾いていても、あれ以来もう顔を出しにくることは無かったし。

 もともと隣のクラスとはいえ全く交流すら無かったのだから、校内でバッタリ会うことも無い。

 ――もう……きっと葉山が、ここに顔を出すことは無いだろう。絶対に。

 全く変わり映えの無い僕の日常が戻ってきた。

 …それだけのことだ。

 相変わらず放課後の僕は、合唱部の練習に参加して、その後に声楽室で1人ピアノの練習をして、それからレッスンのために先生のもとへ通う。

 …その繰り返しが、再び訪れようとしていた。

 結局、変わり映えの無い日常を変えるためだった“布石”も、やっぱり新たな“変わり映えの無い日常”と定まりつつある。

 そんな矢先のこと。


 ――がたっ…!! ごとごと、がたっ……!!


 いつものように、僕が声楽室で1人ピアノを弾いていた時のことだ。

 相変わらず古くて立て付けの悪い声楽室の引き戸が、そんな派手な音を立てて開かれた。

 驚いて、思わず我に返ってパッタリと鍵盤の上を動いていた指を止め、その場を立ち上がってグランドピアノ越しに出入口を見やると。

「ごめん……こんなに大きな音が出るとは、思わなくて……」

 演奏の邪魔する気は無かったんだ、という低い声と共に、開いた扉の隙間からヒョッコリと覗いたのは……おそろしく無愛想に整えられた綺麗な顔。

 ああ、そういえば女子が騒いでたっけな…と、そこで僕は思い当たった。

 確か同じ学年の…4組のヤツだ。

 見かけたことくらいはある。

 名前は知らないけど。

 聞いたことあるような気もするんだけど、なんだっけ?

 その女子に人気のある無愛想な美形くんは、僕を見止めるなり、“あれ…?”という顔をした。
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