僕たちの時間(とき)
 ――葉山、僕は君の“友人”になりたかったんだ。


 あのとき……去っていくヤツの足音を聞きながら、呆然と僕は、それを思った。

 そして、ふいに泣きたくなった。

 悲しい…と思った。

 誰かに背を向けられることを“悲しい”と思うことさえ、これまで僕は知らなかったのだ。

 この気持ちを、どうすればいいのか分からなかった。

 どうすれば、葉山に再びコチラを振り向いてもらえるのか……そんなこと分からない。僕には。


 ――所詮、全てを諦めることを覚えてしまった僕は……自分のもとから去ってゆく人間を引き止める術など、何も知らないのだから。


 だから諦めた。

 抱いてしまった感情ごと忘れようと思った。

 そうすることが、多分、僕にとっては最もラクな方法だから。

 葉山と出会う前の僕に戻ればいい、…それだけのことだ。

 ピアノを弾くためだけの“機械”である僕で居る方がいいんだ。

 ――あんな感情を知ることもないから。


 なのに……目の前に居る、この端正な顔をした直情バカは。

 僕が忘れ捨て去ろうとしたものを、事も無げに、カンタンに目の前に突き付ける。

 僕が葉山の『友達』だって……?

 ――何故そんなことを僕に言うんだ。

 軽くイラッとした。

 少しだけ腹立たしくなった。

 …でも同時に、少しだけ羨ましくもあった。

 葉山の友達なら自分の仲間、と……そんなことを簡単に言い切ってしまえるだけの“信頼”が、自然と2人の間に存在しているのだろう、と……我知らず、それが感じられてしまったから。

 そんなことをアタリマエのように出来てしまう2人が、なんだかとても眩しく思えたから。


 葉山と渡辺……この2人は、どことなく、良く似てる。

 目には見えない“底”の部分で。
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