僕たちの時間(とき)
「…まあ、そう言うなって」


 何か言いかけようとして口を開いた渡辺くんの肩越し、ふいに響いてきたその声で。

 ハッとし顔を上げて見やると、いつから来ていたのだろうか、声楽室の出入口、扉を開け放していた戸口の脇に、葉山がニヤニヤ笑いながら立っていた。

 その隣には山崎くんも居る。

 …やっぱり何か言いたそうな、ともすれば怒っているようにさえも見える表情で。

 彼の肩には葉山の手が載せられていた。

 その姿は、まるで山崎くんが何らかの理由で引き止められているみたいに見えた。

「あながち『意味もないこと』でもないぜ、バンドは」

 その姿勢から僕を真っ直ぐに見つめ、相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、葉山がそれを続けた。

 途端、僕の頬が熱くなる。

 単にからかっているだけのようなその口調と態度にイラッとしたことも事実だが……そうじゃない、それが僕の虚言だと、見抜かれたような気がしたから。

 心の中で少なからず狼狽した僕は、それを隠すように、椅子から立ち上がってヤツをキッとした視線で見つめ返した。

「じゃあ、どんな意味があるっていうの? 君らのバンド活動には!」

 言ったと同時……葉山は静かに、立ち上がった僕の前まで無言で歩み寄ってきた。

 そして、長身ゆえに高い位置の視点から、見上げた僕の顔を見下ろして。

「――まず言っとくけど」

 そこにはもう、今しがたまでのニヤニヤ笑いなんて、どこにも浮かんではいなかった。

 あまりにも真剣な声と表情で、真っ直ぐに、ヤツは告げる。


「遊び半分だと思うなよ? 俺たちは本気だ! 本気で、いつか絶対“プロ”になる! なってみせる! そのための『バンド活動』に、意味が無いなんて言わせねェ!」


 その瞬間……僕は大きく目を瞠った。

 驚きのあまり、まるで頭を殴られたような衝撃を覚えていた。

 視線が葉山から離れない。離すことが出来ない。

(『“プロ”になる』、だって……?)

 声にも出せず、それだけが頭の中で反芻されてグルグルと廻る。

 ――途方も無い……夢物語のように聞こえた。それは。

 僕には、全く及びもつかなかったことだったから。
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