僕たちの時間(とき)
 僕は……しばし無言で、まるで硬直したように、受け取った手元の楽譜に視線を落とした姿勢でいた。

 僕が黙って俯いている間、誰も何も言わなかった。

 返事を急かすこともしなかった。

 ただただ、沈黙だけが室内を支配していた。

 まるで重みさえ感じるほどに。

 ――次の句を続けるのが躊躇われるほどに。


『…いいよ、わかった』


 おもむろに顔を上げ、その重苦しい空気の中、そして告げる。キッパリと。

『その“賭け”、乗るよ』

 言った途端、山崎くんの笑みがニヤリとした人の悪い笑みに変わった。

 こうして彼の企み…もとい、“提案”に乗っかることなど、やっぱり彼の思惑に嵌められたみたいで、いい気分はしないけど。

 元の日常を取り戻すためには仕方ない、こうするしかないんだろう。

 それ以外の方法が今の僕には思い付かない、ということもあるし。

 どのみち不愉快なことには変わらないが、これが一番、手っ取り早い。…多分。

『了解、受けてくれて嬉しいよ。――じゃあ、いつにしようか? 君には練習する時間も必要だろうし……』

 言いかけた彼の言葉を、『いらない』と、ひとことで僕は遮る。

『今やろう。これからすぐに』

『え…でも……』

『要するに、僕は手を抜かなきゃいいだけの話だろう? 全く知らないって曲でも無いし、そこまで長い曲でも無いし……譜面を読むのに10分程もらえれば、それで充分だよ』
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