僕たちの時間(とき)




 改めて思い返してみても……やっぱり山崎くんの口車に乗せられただけのような気もする―――。

 白と黒の鍵盤を叩いてイントロの旋律を奏でながら、シミジミと僕は、それを思う。

 ――でも、もう遅い。

 渡辺くんが椅子から腰を上げて、グランドピアノの横に立った時から。

 僕は、自らで始めてしまったのだから。

 ――この“賭け”を。


 メロディを奏で始めたことが……既に僕の“ベット”だ。


 後は、彼ら側の“ベット”を待つだけ。

 そろそろ前奏部分が終わる。

 目の前に広げられた楽譜の中、歌詞が踊り始めるところまで……あと2小節。


 スウ…と、隣で深く息を吸い込む音が聞こえた。――と、ほぼ同時。


 ――ぞわっ…!! 一瞬にして全身を鳥肌が駆け抜けていった。


 まだほんの初っ端、唄い出しから。

 彼の…渡辺くんの声に、鳥肌が立った。


 クラリとした眩暈すら感じて……、――その瞬間、世界が震えた。


 僕を取り巻く全ての何もかもが総動員されて、大きな衝撃をガツンと与えてきたかのように。

 ――なんて声だ……!!

 響く声。通る声。声量のある声。――そんな言葉じゃ、とてもじゃないけど言い表せないくらいな。

 …それは多分“存在感”。

 聴いた者それぞれの心の奥に直接届く……そんな“唄”だ、この声は。

“唄うために在る声”だ。

 言い方は陳腐だけれども、だからこそ真実。

 でも、そんな陳腐な言い方でも充分に伝えきれていないと感じられるほどに……それは、どこまでもどこまでも、限りなく澄み切って透明な……、


 ――“聴かせるため”に存在する声だ。これはまさしく。
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