僕たちの時間(とき)
 そしてまさしく、そんな天性の声を持つ彼は、確実に“唄うために生まれてきた”と云うべき人間だった。

 そうとしか思えなかった。

 天賦の才を授かった人間。

 ――それを“天才”と、凡人は呼ぶのだ。

 きっと技術的にみてみれば、彼の唄はまだまだ未熟なのかもしれない。

 未だ記憶の中に残る、かつてスピーカー越しに聴いたことのあるオリジナルと比べてみても、その唄い方には何だかムラがあるように思えた。

“完成された歌”ではないことを感じさせた。

 でも、そんなことすら問題にならないくらいのパワーが、スピーカーを通さないで聴くナマの彼の唄には、充分に満ち溢れているみたいで。


『――あなたは“天才”なんだから』


 ふいに母の言葉が脳裏を過ぎった。

 そうじゃない、そうじゃないんだ、と……即座に全力で首を振って否定する自分が居る。

 僕は間違っても“天才”なんかじゃない。

 僕のピアノには感情が無い。

 僕のピアノには、在るはずのものが何も無い。


“天才”ならアタリマエのように持っているだろうものが……どこにも無いのに……!


 アタリマエのような存在感。

 アタリマエのように心へ響いてくる歌詞(ことば)。

 からっぽの身体全体に、ストンと落ちては沁みわたっていく旋律(メロディ)。


 痛感する。――“天才”と“そうでない者”の違いを。


 そう…僕は“天才”でも何でもない。

“凡人”ですら無い。

 ただの“機械”だ。ピアノを弾くためだけの。


 ――“機械”でしか無い僕には……彼のような“天才”の後ろで演奏するべき存在たり得ない……!
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