僕たちの時間(とき)
 そもそも、こんな“賭け”なんかに乗らなければよかったんだ。

“機械”のままでいられれば……きっと、こんな苦い涙なんて知らなかったのに。

 彼のような“天才”と呼ばれる才能を前にしても、“機械”であることを恥じる気持ちなんて、感じなくて済んだのに。


“天才”と呼ばれる才能の前に……“悔しい”と思ってしまう感情なんて、知らなくてもよかったのに……!!


『あなたはママの言う通りに弾いていればいいのよ』

 …ねえ、お母さん。

 ――僕は、あなたの代わりにピアノを弾いているの?

『あなたは何も考えなくていいの。すべて先生とママとで決めてあげるから』

 …ねえ、お母さん。

 ――僕は、何も自分で決めることが出来ないの?

『あなたは天才なのよ。だからピアノのことを第一に考えなさい。ピアノのこと以外、考えなくていいの』

 …ねえ、お母さん。

 ――僕には、ピアノしか無いの?


 …ねえ、お母さん。

 ――“僕”という存在は、一体、なに……?


 すべての疑問にフタをして……すべてをあきらめて、受け入れて……感情のない“機械”でいようと頑張って……、

 そうやって、今日まで生きてきたというのに。

 そうじゃなきゃ、僕は生きてこれなかったのに。

「ピアノを弾くことにしか、僕の生きてる価値なんて無いのに……!」

 すべての疑問にフタをするには、それしか術(すべ)が無いのだから。

「引きずらないでよ……!」

 僕を“人間”に引き戻さないで。

 憧れるだけでいい。

 ――“憧れ”なら、それだけで終わる。

「僕は“機械”なんだ……」

 なぜなら、“人間”としての“僕”を認められていないから。

「僕は“機械”なんだ……!」

 感情を捨て去らなければ今の生活を生きられないから。

「僕は“機械”なんだ……!!」

 だから、“弾けない”なんてことは絶対に赦されない。


「ピアノしか無い……!! 僕にはピアノしか無い……!! 弾くこと以外、何も無いんだっ……!!」


 取り上げないで。

 …僕の居場所を。生きる場所を。

 奪わないで。

 …生きていてもいい理由を。
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