僕たちの時間(とき)
 葉山に『来るか?』と問われ、即答で僕は頷いた。

 そしてヤツの背中を追うようにして、今まで居た声楽室を出、長い廊下を歩き、階段を上がった。

 俯きがちのまま、声楽室のあるフロアから一階分、階段を上がって。

 やはり俯いた顔を上げられないままで、再び長い廊下を歩く。

 すると……、


 ――廊下の先から“音楽”が聞こえた。


 微かに響いてくる言葉。そしてメロディ。

 ――歌声……?

 一体、どこから聞こえてくるんだろう。

 フと顔を上げると、目の前には葉山の背中。

 その背中越しに見えた真っ直ぐに伸びる長い廊下の行く先に、誰かの姿が、視界に映えた。

「――山崎くん……」

 彼は、ある教室のドアの前で立ち尽くすようにして、そこに居た。

 僕の前を歩く葉山は、何も言わず黙々と、そんな彼のもとへと歩み寄っていく。

 真っ直ぐに。

 まるで目的地は彼だとでも言わんばかりに迷い無く。

 山崎くんのもとに近付いていくにつれ……廊下に響く“音楽”は、より大きくなって、僕の耳を打ち、そして響いた。

(ああ、これは……)

 歩いているうちに理解する。

 ――これは“彼”の声だ。

 僕も聴いたことのある曲。

 借りたCDの中に入っていた曲。

『僕が僕であるために』。


 つい今さっき聴いたばかりの……渡辺くんの“唄”が、聴こえる―――。


 いつの間にか僕らは、立ち尽くす山崎くんの目の前に居た。

 彼の目の前には、隙間の開いた扉。

 そこは器楽準備室だった。

 近付いてきた僕をニコリともせずにチラッと見やっただけで山崎くんは、そのままフイと顔を背けた。

 そして指だけで合図する。“こっちへ来い”って言うみたいに。

 傍らに居る葉山に肩を押され、おずおずと僕が彼の指に招かれた方に近寄っていくと……その指は、扉の向こうを指し示した。

 声楽室と同じくらい立て付けの悪そうな扉の隙間から、中を覗くと。

 楽器がゴチャッと置かれているだけの誰も居ない部屋の中に、

 ――ただ1人。

 部屋の一番スミで、窓に向かって立つ渡辺くんの背中が見えた。
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