僕たちの時間(とき)
 まるで窓の向こうの空に向かって叫んでいるかのように……彼は唄っていた。

 たった1人で。

 歌い続けていた。

 何度も何度も同じフレーズを繰り返しては。

 まるでエンドレスで流れ続ける壊れたレコードのように。

 唄いながら立つ彼の、両肩が揺れている。

 そこで改めて、僕は気付いた。

 ――そう、唄と共に聴こえてくるメロディ。

 まるで電子ピアノのような音。

 窓際に置かれた何かの前に立ち、彼は唄っている。

 機械的なピアノの音を奏でながら。

 彼の唄に合わせて奏でられていたメロディは、彼自身が唄いながら奏でていたものだったのだ、と……そのことに、遅まきながら正に今、僕は気付いたのだ。

 そうやって彼の指から紡がれた“音”を耳にして……次第に僕の目が瞠られていく。

 それまで彼の声ばかりに気を取られていたから、その後ろの音になど気にも留めておらず、だから分からなかったけど。

 彼の指が奏でる音に気付いて、その音色に耳を止め、聴き入って……それで改めて驚いたのだ。

 渡辺くんもピアノを弾ける人だったんだ、という驚きもモチロンあったが。

 これは、そんなもんじゃない。そうじゃなくて……!


「――どうだよ、サトシのピアノの腕前は?」


 ふいに耳元に囁かれた声に、ビクッとして振り返る。

 言ったのは葉山だった。

 思いのほか近くから僕を覗き込むようにして、真剣な目で、こちらを見つめていた。

「アイツも、長いピアノ歴は伊達じゃねえからな。そこらへんの有象無象とは比べ物になんねえだろ」

 ――その通りだった。

 籠もったような電気的な音では、ピアノのテクニックの機微を披露するには不充分だろうハズなのに。

 それでも…この曲を“弾き慣れている”ということもあるのだろうが、彼のピアノは充分に素晴らしかった。

 それが充分に理解できた。

 本当に上手だ。

 ピアノを弾ける、というだけの人間ならゴロゴロそこらへんに転がっているだろうけど、このくらいのレベルになると、きっと探すのも難しいに違いない。
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