僕たちの時間(とき)
 彼は間違いなく、“ピアノを弾く”というための熟達したスキルを有している人間だった。

 こんな電子ピアノじゃなくて普通のピアノを弾かせてみれば、彼の技術の高さが良く解るハズだ。

「本当は…そもそもサトシが居れば、ウチのバンドにキーボード要員なんて必要ねーんだよ」

 そうだろうね。彼の腕前なら尤もだ。

 ――そう頷き返しつつ、葉山の言葉に小さく胸に痛みを覚えた。

 ならば、彼らの中に僕が居る必要は無くなる。

 そもそも、最初からそんな必要など無かったのだ。

 そのことが何故か胸に痛みを与えた。

 とてもとても微かだけど…でも大きく強く。

「けど、な……サトシの武器は、あくまでも唄だ。ピアノじゃない」

 しかしヤツは更に続ける。

 僕を真剣に見つめたまま。

「そりゃーサトシのピアノだって否定はしねえよ。このまま続けてりゃー、ある程度の高みにまで上り詰めることだって出来るだろうさ。――でも、ヤツの唄には、それ以上の素質があるんだよ。人間には“分”ってモンが在る。ヤツは、ピアノじゃない、唄うことでトップにまで伸し上がるよう、そう生まれついた人間なんだ」

 そして耳元で力強く、それを、囁く。


「――アイツは、唄で天下を取る人間なんだ」


 そのキッパリとした真っ直ぐな言葉に、僕は思わず絶句し、面食らったように葉山の顔を見つめ返した。

 二の句が継げなかった。

 ただただ、こちらを見つめる真剣な眼差しを見返すことしか、出来ずにいた。

 あまりにも壮大な未来を見据えて語る、その葉山の眼差しには……なのに一片の曇りも濁りも無く、ただひたすらに透明で真っ直ぐで。

 それが、光を湛えて僕の瞳を射る。

 その光に射抜かれて。

 ――スンナリ納得してしまう僕が居る。

 彼の唄を実際に耳にしたからこそ素直に納得してしまえる、それは“事実”だと、僕には思えたのだ。


 彼…渡辺くんならば、近い将来いつの日か必ず、その“唄”で天下を取る。

“№1”になれる、必ず。

 日本中が…いや世界中にまで、彼の声は広く遍く響き渡る。

 信じられる。

 ――そう、確信めいた予感。
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