僕たちの時間(とき)
「――弾いてよ、君のピアノ」


 やおら耳に響いた声に、ハッとして僕は、顔を上げた。

 上げた視線に映ったのは……僕の正面に立って僕を見下ろす渡辺くんの微笑み。

 そして彼は続ける。

 おもむろに僕の手を取って。

「弾いてよ、さっきみたいに。君の…君なりの『尾崎 豊』のメロディを、さ」

「渡辺…くん……」

「オレも唄ってみたいから。君の演奏の前で。一緒に」

 あまりにも優しい、その微笑みに戸惑いを覚えて、咄嗟に横へと視線を流し、傍らに座っている山崎くんを見つめてしまった。

 ――君も、それでいいの……?

 流した視線で問うたけれど。

 しかし予想に反して、彼の瞳は穏やかで。

 先刻のように僕を冷たく睨み付けてなどいなくて。

 それこそ、これっぽっちも。

「それはゼヒとも聴きたいね。そういえば、さっきの“賭け”の演奏も、途中で止まったままだったことだしー?」

 言って、「なあ?」と同意を求めるように葉山の方へと向けた顔は……本当に普段通りの、彼特有の“人を食ったような笑み”、で……。

 即答で「ああ、そうだったな」と、やっぱり普段通りのニヤニヤ笑いで応えた葉山の返答を得て、それが更に強力に顔面を覆う。

 まるで笑顔の仮面でも貼り付けたみたいに。

 ――その瞬間を目にして、即……なんだろう、僕の胸中が、よくわからないフクザツな色でモヤモヤとした。
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