僕たちの時間(とき)
「幸せ……だった、ね……」

 水月が、ぽつりと呟く。

「幸せ過ぎたよね……私達、これ以上はないってくらいに、幸せだったね……だからもう、今までと同じくらい幸せでいることなんて、できないのよ……今の私達には、もう……」

「水月……」

「だから、聡くんを私から解放してあげなきゃ。聡くんが幸せになれないものね」

「何だよ、それ……」

「私は、同情されて聡くんのお荷物になるのは嫌なの」

「『お荷物』だなんて、そんなことっ……!」

「私が病気である限り、いずれそうなるわ。同情でつきあっていくには、私は重荷になり過ぎるの。必ずそう思う時がくる。だから今、離れるの。幸せのまま、別れるの。私には幸せだった時の思い出があれば、生きていけるから。――でも、聡くんは違うでしょ? あなたはこれからずっと生きていける人だから。ここに止(とど)まってちゃいけないのよ。新しい幸せを見つけなくちゃ。私の知らないところで聡くんが幸せになってくれること。それが、これからの私の“幸せ”なんだから」

「…………」

 水月の言う言葉は、痛いほどよくわかる。僕が水月の立場だったとしても、きっと同じように言うだろうに違いない。

 好きな人の荷物になるくらいなら……そのことで相手に負担をかけてしまうなら……始めから離れてしまいたいと思う。幸せだった過去を苦しみの色で塗り替えられてしまう前に、今までの色のまま心に抱(いだ)いて生きた方が、どんなにか幸せか。

 頭では理解できてる。納得できる。

 なのに何か1つピースが足りない。心が納得するのを拒否している。――何故……?

 水月を見つめるほど、違うと叫び出したくなる。僕達にはそうじゃない、と。

 何がどう違うのかなんて……説明できるほど明確には、わかっていないけれど……。

「わかってくれるでしょう……?」

 そう言った水月は微笑んでいた。

 そして瞳はかすかに潤んでいた。

(また、“あの瞳”……)

 その瞳のままで、水月は言う。


「私を苦しめたくないと思ってくれるのなら……もう帰って。――そして、もう来ないで……」
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