僕たちの時間(とき)
「もう一杯、くんない?」

 差し出したグラスの上に、いきなりポンと白いナプキンが置かれた。

「…………?」

 そうされた意味が解らず、困惑してきょとんとそれを見つめ、眉を寄せる。

「これ……」

「――ケンカでもしてきたのか?」

 その言葉で、血の滲む自分の拳に気付き、ハッとした。

(コンクリートを叩いた時の……!)

 頭の隅に追いやっていた出来事が、まざまざと甦ってくる。

 それをまた振り払うかのように、僕はその拳から無理やり顔を背け、軽く左右に頭を振る。

「それやるから巻いときな。消毒薬も持ってきてやろうか?」

「いいよ、大したことないし。さんきゅ」

 おやじさんの言葉に素直に従い、僕はナプキンを手に取った。

「なぁ、サト坊…。――おまえ、そんな傷作ってくるってこたぁ、俺とこんな音楽評論しに来たワケじゃあ、ないんだろう? 何があったかは知らないが、すすめなきゃ絶対に酒なんざ飲まねーおまえが、自分から飲むくらいなんだからな。そりゃあ、ただごとじゃーないんだろうなぁ……」

「…………」

 僕は拳にナプキンを縛りつけながら、それをただ黙って聞いていた。

 本当に他人事のようなおやじさんの口調が、なぜだか嬉しく感じられた。

「2杯目…もらっていいかな? 今度はストレートで」

 おやじさんは、無言でトポトポ注(つ)いでくれた。

 今度はさすがに一気飲みは無理だけど、なんとか腹に収まって。

 ほどなくして酔いが回ってきた頃に、やっと僕は口を開いた。
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