焼き芋焼けた
 私は母親に頼み込み、中学一年生の秋から塾に通うようになりました。それでも二年生になる頃には、私の成績は学年の真ん中辺りが定位置となっていました。
 勉強ができないのが恥ずべきことだと考えていた私は、その事実が同級生達に知られないよう頑なに隠していました。つまり、私の本当の成績を把握していたのは、先生方と母親だけだったのです。
 母親は私の成績が下がろうと、一つの小言を言うこともありませんでした。それどころか毎日机に噛り付く私に、塾へ通いたいと懇願する私に「無理しなくて良いのよ」と、諭すように言うのでした。
 母親のその言葉は、本心であったに違いありません。しかしその思いは、私には関係のないことでした。
 私の思考にあったのは、自分の成績を知られて恥をかきたくない。知られる前に成績を上げなくては。そんなことばかりでした。
 三年生になり高校受験が本格的に話題に上り始めると、私は焦りました。数少ない友人に志望校を聞かれる度話を濁し、取り繕っていました。しかし、当然事実が明らかになる日はやって来ます。
 同じ公立高校を受験する同級生達は、そのメンバーの中に私の姿を見て、僅かに驚きの表情を見せました。しかし、私の懸念とは異なり、それ以上の反応はありませんでした。ただ私には、雑談する女子生徒の声が私を罵っているように感じ、何やら声を上げて笑う男子生徒が居れば、私への嘲笑に聞こえてしまうのでした。
 この時はまだ周りの人々が私に興味がないと言うことに、気付いていなかったのです。
   
 高校生になっても、私の生活は代わり映えしませんでした。
 中堅層の学力の学校に入り、その中でも矢張り中程の成績。友人と呼べる同級生は片手で数えるほど。ただ問題行動に対する注意をすることは、比較的少なくなっていました。
 入学した高校に真面目な者ばかりが集まったわけでもなければ、勿論私の中の正義感が薄れたわけでもありません。高校生にもなると、数人単位の友人関係で形成されるグループ同士の距離が広くなって行くからです。
 私が所属する恐らくは周りから地味だと思われているであろうグループと、他の派手で活発なグループは、大抵に於いて同じ場所に居ることがなかったのです。
 何かの拍子に彼等に対し口を出すことがあったとしても、彼等は私の言葉を聞き流すように適当にあしらうのでした。
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