焼き芋焼けた
母親の涙、父親の笑顔
 私が産まれたのは、神奈川県の川崎市です。
 川崎と言えばビルが立ち並び人も多く、それなりに都会の風景を思い浮かべるかも知れませんが、私の家はそんな市の中心部からは外れた、どこにでもありそうな町に建てられた賃貸マンションの一室でした。
 家から道路を挟んで向かいには直ぐに多摩川が流れ、子供の頃にはよくその河川敷の草むらで、昆虫等を捕まえて遊んだものでした。
   
 私の父親は、私が幼い頃に病気で亡くなりました。私が二歳の誕生日を迎えたばかりだったと聞いています。
 当然父親についての記憶等残っていませんが、容姿だけは知っています。いつも寝室の窓際に飾られていた写真には、新婚旅行で訪れたどこぞの南国で収めた、両親の姿があったからです。
 どこからが空なのか見分けのつかないほど青い海を背景に、少年のように笑っている人物。それが私の知る父親でした。
    
 私の母親は、保険会社の営業をしていました。父親が亡くなったことを切っ掛けに働き始めたそうです。
 おっとりとした性格で、一見そう言った仕事には向いていないように思われましたが、人に癒し系と表されるその笑顔は客からの好感も得たようで、営業成績はまずまずだったようでした。
 私は片親だからと言って何か不自由な思いをしたことはありませんでしたし、父親と遊んでいる同い年位の子供を見たとき、多少の羨ましさは持ったとしてもそれを不幸と思うことはありませんでした。父親が居ない分母親が二倍頑張ってくれましたし、二倍愛してくれたからです。
 来る日も来る日も歩き周り仕事をこなしつつも家事を疎かにはせず、私の授業参観や運動会と言った行事にも必ず参加してくれていました。
 そして、母親はいつも笑顔でした。仕事が忙しい時も体調を崩して辛い時も、私の前ではいつも笑っていたように思います。
 私が片親と言うことを何の足枷にも感じなかったのは、そんな母親の頑張りと笑顔があったからに他なりません。
    
 私にはたった一度だけ、母親の涙を見た記憶があります。それは、私が小学校に上がる少し前のことでした。
 その頃、陽射しの暖かな日にはよく母親に手を引かれ、多摩川の流れに沿って散歩をしていました。
 その日も初春の麗らかな陽気と色付き始めた緑草の中を歩いていると、川沿いの土手の上に痩せた猫の姿を見付けました。
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