亡國の孤城Ⅲ ~バリアン・紲の戦~
着慣れた上着に素早く袖を通し、歩き慣れた長い廊下をほとんど小走り状態で進んでいく。
嗅ぎ慣れた春の息吹に誘われてふと廊下に均一に並ぶ窓を見やれば、見慣れた祖国の風景。大地一面を覆い尽くす沈黙の森の彼方から眩しい朝日が覗いているのを見て、そうか、今はまだ早朝…夜明け前なのだなと時刻を認識した。
いつもならばこの時間、まだ自分は半分夢の中に意識を突っ伏したままのろのろと寝台から起き上がり、その日一日のスケジュールを頭の中で確認してあれこれと考えている時刻だ。
そんなのんびりとした朝を迎えている平凡な日常の中の自分は、今ここにはおらず。
廊下の端から端へと忙しなく走り回る使用人達を次々に避けて歩いていると、後方から歩み寄ってくる一人分の足音。その堂々たる歩みが使用人達のそれではないことなど、目にせずとも分かる。そしてその足音はすぐさま自分に追いつき、ほとんど同じ歩調の二つの歩みは並行することとなった。
並ぶ二人は前を見据えたまま同じように上着のボタンに手をかけ、同じタイミングで襟を正す。
直す暇の無かった寝癖をこれまたほとんど同時に適当に撫で付け始めると、終始無言だった二人は、ここで今日初めての声を発した。
「――夜明け前の緊急会議招集と伝えられた途端、この騒々しさか。まるで空気自体に急かされているようで自ずと足も速まるものだな。おはよう、エドガー師団長」
「そう言う割にあんたは相変らずの無表情で自分は安心していますよ。おはようございます、リオ師団長」
寝起き独特の枯れた声と仏頂面で簡単な挨拶を述べると同時に、お互いに素早い敬礼を交わした。
フェンネル国家騎士団の最高身分にあたる総団長のジンに次ぐのが、総団長補佐兼特務師団長であるリストとイブ。それら幹部の下につくのが各師団をまとめる師団長だ。
そして数いる師団長の中でも精鋭師団であるのが第一師団、第二師団の二つ。
その両師団の師団長を務めるのが、このリオとエドガーの二人だ。
この二人が精鋭と呼ばれるのはその実力故に、というのは勿論のことだが…実は軍部の平穏を維持する重要な縁の下の力持ちとして師団長達の中では位置付けられており、酷く頼られてしまっている。
…と言うのも、日々の訓練で度々衝突し合う二人の…名を言わずとも分かる事だが、イブとリストの下らない切っ掛けから生じた下らない喧嘩に巻き込まれ、それによって大破した城内の備品回収及び修理に仕事をあてられ、神出鬼没なジンの城内捜索に走り回り、毎度の壮絶な爺孫喧嘩で主にメンタル面で傷つきさめざめと泣くアレクセイの慰め役に回る…のが、主にこの二人だからだ。
城内のハプニングで滅茶苦茶になった場が、翌朝には勝手に綺麗になっているわけではない。
幹部たちの知りえぬ所で、この二人が文句も言わずに黙々と尻拭いにあたっているからである。決して表に出ない涙ぐましい努力に他の師団長らとその兵士達は彼らに平和賞を贈りたいくらいだ。