水とコーヒー
「うん…そっか…」

僕は何も云っていない。先輩の独り言だった。ただ、奇妙な光景が僕の心の中には描かれていた。

僕の意識の中にある僕の家。

その両親の部屋に、見知らぬ女性の死体があるその部屋に、先輩が入ってきたのだ。現実の世界と同じ格好をしていたが、先輩は少し白いというか、なんというか全体的に明るい色をしていた。

そして女性の死体のそばにしゃがみ込むと、彼女の髪を指先でかきあげるようにして、頬を優しくなでるようにして、話しかけているようだった。

「うん…そうだねえ…」

とんとんとーん・とんとんとんとん。

「ああ、そうなのか…でも、彼も困ってるからね…」

とんとんとーん・とんとんとんとん。


現実の世界で先輩の指が奏でる音は、まるで語りかけの言葉のように時に緩やかに、時に強く、そして優しく繰り返される。

その光景と音に包まれていると、少しずつショックと恐怖が薄らいでいくのがわかった。ああ、大丈夫だ、そう思えてくる。


とんとんとーん・とんとんとんとん。


「うん。そうだね。いきかたは教えられるから大丈夫だよ」

まだ独り言は続いていた。いや、先輩は彼女と話をしているのだろう。それは僕には出来ないし、彼女の声は僕には聞こえないのだ。

意識化の世界と現実の狭間で、僕はゆらゆらと先輩と女性の姿をただ見つめていた。
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