イラツエ
リリー?


リリーとこの男は呼んだ?


リリー、アタシの名前。



主人はこんな畜生には名等無いと考え、記号で扱われていた。


名を呼んでくれた人は皆死んだ。
誰も知らない筈だ。

何故アタシの名前を…?


『知っているんだ、君のこと……』

アタシの胸の内の疑問に応えるように話す。


『リリー、会いたかった』

会いたかった?

アタシはこの男を知らないのに?

アタシの訝しげな目線に答えるように、男は尚も言葉を続ける。

『リリー、僕は君の事を知ってる。忘れたことなんて一度もなかったよ』

ギチッと更に体に固定された腕が締め付けられる。

『僕はルゥディーだよ。ルゥディリード・ディー・ディードだよ』

るぅでぃー

口には出さずに、繰り返す。

聞き覚えがない。

男が漸く体を少し離し、目線を合わせてくる。
まだ、両手は体に回されたままだけど、慣れたのかあまり気にならない。


淡い金髪に、透き通るような水色の瞳の美しい顔は一度見たら忘れないと思うけれど。
記憶に無い。


『分からないんだね』

アタシの表情から読み取ったのか、悲しげな声が落ちてくる。

急にその声を聞くと、弁解したくて口を開くが、何も言葉には出来ない。

金の髪も、水色の瞳も、ルゥディーという名にも、何一つ覚えがないのは、替えようのない事実だ。


『いいんだ、きっと忘れさせられていると、覚悟していたから』

俯いていると慰めの言葉と一緒にポタリと頬に水滴が落ちてきた。
見上げると、涙を溢れさせている男がいた。
悲しくて悲しくて仕方ないと、目を赤くさせて涙を溢す姿に、こちらも悲しくなって泣きたくなってくる。

苦しげに寄せられた眉や、噛み締められた唇が痛そうで、思わず唇の端に指で触れた。
驚いたようで、男の固く閉じた口が少し開く。
相当強く噛み締めたのか、血こそ出ていないが、大分赤くなっていた。

『るぅでぃりーど、ごめんね…』

思わず口から出た。

覚えてなくて、分からなくて、ごめんね。

泣かせて、痛い想いをさせてごめんね。

『リリーッッッ』


名を呼んだ途端に、ぎうと更に抱き締める腕に力が込められ首筋に顔を埋められる。

『ひっ』

急な事と、締め付けが酷く一瞬息が吸えなくて息が詰まる。

びっくりすると、すぐにルーディリードは腕を緩めて見詰めてくる。
今度は目も目の回りも赤くさせながらも、照れたように笑っていたので、苦しかったのも忘れて安心した。

よく分からないけれど、泣いているよりは笑っていた方がずっといいと思うので、痛かった事は忘れる事にした。


『リリー、もう一度呼んで』

この男はとりあえず、敵意は全く無さそうだし、記憶にはないが、知り合いなのだろうか、と考えているとまた話し掛けてくる。


『?』

呼ぶ?
何を。

『僕。僕の名前もう一度呼んで』




『……………………』



今名を呼んだのは泣いていたからだ。
黙っているとずっと顔を近くに寄せたまま、にこにこと見詰めてくる。
呼ぶまで止めないつもりみたいだ。


『……………………』

男はこの状況が楽しいのか、にこにこが止まらないようだ。


『ル、ル、ディリード……?』

根比べは負ける。
アタシは諦めるのが早いから。
ディーの発音がしずらく、若干舌を噛みそうになりながら呼ぶ。


『リリーッッッ』


叫ぶと男、ルゥディーは感極まったようにまた抱き付いてきた。


『ッッッッッッ』

今度は先ほどよりは予測出来たが、ぎうと抱き締められると驚く。

名を呼んだだけなのになんなのだろう、この反応は。

と思ったけれど、身の危険は特に無い事は前回で学んだし、目上だと思われる(自分より地位の低い人間等、見たことない)ので、歯向かう気も起きずに時間が過ぎるのを待っ。




『あ、ごめんね、嬉しくてつい』


無心で待っているアタシの状態に気付いてやっと離れてくれるまで長かった。




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