ふたりごと
昼食後、私たちは下山することにした。
登山初心者の私は、登山というものは登る時が一番大変だと思っていたけれど、実際はそうではなく下山の方がつらいことをこの時初めて知った。
下山を始める前に松崎くんからアドバイスをもらった。
「下山する時は、つま先からおりるように歩いてください。そうすると滑ったり転んだりしにくくなりますから」
「歩き方が違うんだね。分かった」
私はうなずいたものの、下山の恐ろしさを甘く見ていた。
行きと帰りではコースが違うので、午前中に見た道とは全く違う道を通る事になる。
下山のコースは、ところどころ岩場もあったりしてなかなかの眺めだ。
さすがに岩場では
「ここ、本当に初心者向けなの?」
と思わず聞いてしまった。
「この岩場が2つくらいあるんですけど、それ以外は大変なところは無いんですよ。岩場にペンキで足のマークが描いてあるの見えますか?」
松崎くんがいくつか連なった岩場を見下ろす。
彼が言っているペンキのマークを探すと、たくさんの登山者たちに踏まれ続けて薄れたマークが、かろうじて見えた。
「あのマークを踏んでいくと、あまり踏み外したりしないので安全です」
「そ、そうなんだ……」
私が怖気づいているのを悟ったのか、松崎くんは
「もし良ければ、手を繋いでもいいですか?」
と言ってきた。
「転びそうになっても支えますから」
「あ、う、うん」
25歳にもなって、手を繋ぐと言われて緊張してしまった。
松崎くんに手を差し出されて、私はそっと自分の手を彼の手に重ねる。
すぐにギュッと握られた。
同時に信じられないくらいドキドキしてしまった。
違う違う。
危ないから手を繋ぐだけなんだ。
そう自分に言い聞かせる。
「大丈夫ですよ」
ふと顔をのぞき込んだ松崎くんは、サッと素早く岩場を移動して地面に降り立つと私の手を引いた。
私も勇気を出して松崎くんのいる所まで足を踏み出した。
ペンキのマークを踏んだつもりが全然違うところに足を置いてしまって、左足が滑る。
「あっ」
グラッと体が揺れて、肩が岩にぶつかる。
転んでしまうと思い目をつぶった。
その瞬間、強い力で手を引かれて背中にも何かを感じた。
トン!と軽く顔がぶつかったので目を開くと、目の前に松崎くんがいてびっくりした。
「わっ!ご、ご、ごめんなさい」
恐らく滑って転びそうになった私の手を、松崎くんは急いで引いて体ごと抱き寄せてくれたのだと思う。
顔が近くて、目をそらした。
「俺の方こそすみません」
松崎くんはそう言いながらも、心配そうに私の肩を手で包んだ。
「怪我してないですか?」
「だ、大丈夫。助けてくれてありがとう」
すっかりペースを乱されているのは私。
なんだか登山に来てから松崎くんが頼りになりすぎて、ちょっと戸惑った。