保存用
「…さっきの話だけど」
静かに、僕の動作を止めてしまわない程度に話を始めた先輩。
「もし言葉が勝手に口から出てしまえる存在になったら、とても便利で良いものになるかもね。思うだけで、相手に気持ちを伝えられるようになる」
「はい」
僕はシャーペンを動かし続ける。
目も原稿用紙に向いたまま。
失礼ではあるけれど、顔を上げた方が怒られてしまう。
「でもそれってさ、すごくもったいなくない?」
「何がですか?」
「相手に気持ちが伝わらないもどかしさや苦しみ、伝えようとする努力。そういうのが全部なくなっちゃう」
「良いことじゃないですか」
「そうしたら、伝わったときの喜びもなくなっちゃうよ」
カツン、とシャーペンが鳴った。
僕は先輩の目を見て言った。
「…そういうものですか」
「そういうものなのです」
君もまだまだだね、後輩ちゃん、と優しく笑いながら、僕の手元から原稿用紙を抜き取った先輩。
原稿用紙を見る横顔は、綺麗なオレンジに染まってて。
普段は焦げ茶色の瞳も、透明な茶色で。
色素の薄い髪は何とも言えない色をしていて。
触ったら壊れてしまうのではないかというほど、儚く尊いものに思えて。
ほら、やっぱり。
言葉とは時に無力なものだ。
end.