マリッジリング
 あれから未だに関係は続いているが、彼の言葉どおり、泊りがけの旅行はおろか、昼間に二人で会うこともない。
 仕事場でも医者と事務員は殆ど顔を見ることすらない。
 仕事の帰り際に、今日は会えるかを確認する簡単なメールが入ってきて、私が応じたら人目を避けて私を車に乗せてホテルへ行く。
 二人で一晩を過ごすことはない。行為を終えたら彼は家庭へ戻り、私はアパートへ戻る。
 淡々とした付き合い。



 彼には子供がいない。


「いらないわけじゃないんだけどね」

 彼は言っていた。ベットに寝転んだまま携帯電話に手を伸ばして画面を開きながら。

「そりゃあ自分と最愛の人の遺伝子を半分ずつ持った存在なんて可愛くないわけないだろうけどね。でもできないものはしょうがない」

 その画面を見て、何もなかったのだろう。またそれをあった場所に戻す。

「不妊ってこと?」

 誰からの連絡を気にしてるの?
 そう聞く代わりにわざと選んだ不躾な言葉を宙に浮かせたまま、彼は私の頬に張り付いた髪を剥がし、愛でるように撫でる。

「私が」
 なおも私は口を開く。同じように彼の頬を撫でながら。

「もしあなたの子を妊娠したら、あなたは嬉しい?」


 私の手の動きを、彼の手が止めた。


「行こう」

 するりとベッドから抜け出す彼の背中と私の間に返事の来ない言葉が浮かぶ。不確かで、触れることすら躊躇ってしまう、しゃぼん玉のように。


 そうしたら奥さんに勝てる?


 これ以上返らない言葉を増やすのはよそう。口から出そうになったその言葉を溜め息に代え、私もベッドから抜け出した。

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