アリスズc

 茜色に染まる夕刻──草原に出た。

「わぁ」

 突然変わった景色に、桃は感嘆の声をあげてしまう。

 中季地帯の、涼しげな風の渡る草の海。

 リリューが足を止め、ハレも足を止めたので、一行はその広大な景色を、ゆっくりと眺めることになる。

 最初に、ハレがそれを見た。

 次にリリューが。

 ようやく、桃も気づいた。

 夕日に照らされて、紅にも似た色で霞む木を。

「桜だわ!」

 一目で。

 本当に、一目でそれと分かった。

 見たことなど、あるはずがない。

 ただ、母が絵を描いてくれた。

 母の話す物語の中には、桜の花の関わる話もあったのだ。

 ここ掘れワンワン。

 あれは、悲しい話だった。

 この国も、桜の木があるのだと母は言っていた。

 草原の中に、ただ1本だけ。

 そこが──母の降り立ったところ。

「桜?」

 コーの耳と発音は、本当に素晴らしかった。

 桃の言葉を的確に掴み、そしてあの霞を指差したのだ。

「そう、桜。綺麗でしょ…」

 感慨深く言葉にする桃は、気づいたら腕を引っ張られていた。

 コーは、早く行きたくてしょうがないのだ。

「誰か…いるな」

 歩みを再開しながら、リリューが小さく声にする。

 その声に、強い警戒は含まれていなかった。

 一人、のようだ。

 木に向かって、熱心に筆を走らせているその姿は──

「マリストロイガーノスおじさま…」

 桃は、思わず微笑んでしまった。

 時折道場の居候しにくる男が、一心不乱に絵を描き続けていたからだ。

「素晴らしい絵を描いているようだ…」

 まだ遠くて、どんな絵かも分からないというのに。

 ハレは、確信を持った声でそう呟くのだった。
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