アリスズc

 桜の木の側で、野宿をすることになった。

 リリューは、野営の準備を始めたが、火を焚くのはためらわれた。

 木の周辺少しを除いて、見事な草原だったからだ。

「今日は火はいいよ」

 そうハレに言われた。

 それは──暗くても構わないということ。

 次の領主の町まで、約半日。

 夜になるのを厭わず歩けば、夜中には到着出来るが、ハレはそれを選ばなかった。

「もう五日ほど、ここで絵を描いています」

 日暮れ寸前の、残りの太陽。

 その明るさで夕食をとりながら、マリスが語り始める。

 テルが通り、オリフレアが通り、彼らを見送りながら、この男は絵を描き続けたという。

 そして、テルは彼に奇跡を見せたのだ。

 コーとハレが、今日見せたように。

 それが、あのテルの絵になったのだろう

 夕食を終える頃には、あたりはすっかり暗くなる。

 太陽の代わりに月が昇る。

 満月を過ぎたばかりの、まだまだ肥えた月だ。

 そんな月の下、モモが木に愛しそうに触れている。

 自分の命の源流が、その木にあるのだ。

 彼女の血が、懐かしいと感じているのかもしれない。

「リリュールーセンタス…」

 自分の名が呼ばれ、少し意外に思った。

 ハレだった。

「桜に触れておくといい」

「私は…」

 リリューは、かすかな戸惑いを覚えた。

 自分の中に、日本人の血はない。

 こんな自分が触れたところで、何が起きるというのだろう。

 だが。

 無理に否定するのも、本当はそのことにこだわっているというようなものだ。

 リリューは、立ち上がった。

 モモが場所を開けてくれたので。

 木に。

 触れてみた。
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