アリスズc

 短い時間だが、桃は夫人との時間を与えられた。

 案内された応接室では──心臓が止まるかと思った。

 母がいたからだ。

 反射的に、桃は居住まいを正してしまう。

 母の厳しい目に見られながら、夫人と話をしなければならないというのは、とてもとても緊張することなのだ。

 血もつながっていない母の絵を飾るほど、夫人は母のことを思っている。

 そういう意味では、桃はまだ誰にも思われていなかった。

 道場で、たくさんの人に可愛がられて育ったが、中身のない偶像のようにもてはやされていたに過ぎない。

 まだ、それだけの魅力ある人間になっていないのだ。

「すぐに、あなたがモモだと分かりましたよ…あの一族の血は、よほど強く出るのでしょうね」

 夫人は、優しい目の中に困った色を浮かべる。

 どきっと、した。

 母に似ていないことは、自分でもよく分かっている。

 いま夫人が言っているのは──父のことなのだ。

「でも、そうやって座っている姿は、ウメによく似ているわ。とても美しいわね」

 優雅に褒められて、桃は思わず顔を赤らめてしまった。

 母が、夫人のところに初めてお世話になった年を、もう桃は越えている。

 その頃の母にさえ、まだ自分は到底及んでいない気がして、恥ずかしくてしょうがないのだ。

 そんな時だった。

 ノッカーが鳴った。

「あら、もうおいでになったのかしら」

 夫人が慌てたように動きだそうとする。

 ハレと正式な対面があると聞いていたので、彼が来たのだろうか。

 桃も、席を空けようと立ち上がりかけた。

 だが。

「クージェリアントゥワスです」

 扉の向こうから、若い男の声。

 瞬間の、夫人の困った表情を、桃は見てしまった。

「呼んでおりませんよ」

 ため息混じりの声。

「いいではないですか」

 強引に、扉は──開いてしまった。

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