アリスズc

 桃は、どきどきしていた。

 美しい衣装で晩餐に、ということに胸を高鳴らせているのではない。

 コーが、晩餐を台無しにしてしまわないかという心配のせいだ。

 夫人に晩餐に誘われた時、彼女は一度断ったのである。

 身分のこともあるが、コーを置いてはいけない、と。

 そうしたら、二人分の衣装が夫人から届いてしまった。

 コーはその衣装の美しさに、すっかり喜んでしまったが、桃は青ざめていたのだ。

 ど、どうしよう。

 礼儀作法を教える時間などわずかしかないし、コーの奔放な性格上、堅苦しい礼儀をこなせるとは思えなかったのだ。

 とにかく、コーを一生懸命説得した。

 桃の大事な大事な人である夫人と、コーの大好きなハレが困らないように、と。

 言葉は。

 コーにとって、一番届きやすいもの。

 彼女は、えへっと笑った。

「コーがんばるよ。おとなしくする」

 子供が、ひとつずつ出来ることが増えるように、コーもまた日々成長している。

 その言葉のおかげで、彼女を連れて行く決心をしたのだ。

 もしものことが起きた時の、布石をしっかりと準備しながら。

 夫人側に、桃を不愉快にさせた男と、もう一人見知らぬ男がいたが、彼らを気にする心の余裕はなかった。

 席に座って、おとなしいはおとなしいのだが、コーが珍しそうにキョロキョロしているのだ。

 その目が、自分の前に並べられた銀のスプーンを見つけてキラキラと輝く。

「コー…」

 手を伸ばしかけた彼女に、桃は静かに呼びかけた。

 びくっ。

 慌ててその手が引っ込んだ。

 だ、大丈夫かなぁ。

 どきどき、はらはら。

 桃は、冷や汗を隠しながらも、とても生きた心地はしなかったのだった。
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