アリスズc

 ノッカーが鳴った。

 コーは慣れない晩餐で疲れてしまったらしく、脱いだ綺麗な衣装を抱きしめたまま、すやすやと眠りについている。

 慌てて桃は、そんなコーに掛布をかけた。

 誰かと思ったら──ホックスだった。

 明日の出発のことだろうかと思ったら。

 彼の後ろには、一人の青年が立っていた。

「こちらの方に、紹介を願われました」

 不慣れな貴族仕事に、ホックスはやや迷惑そうだ。

 そういえば、夫人側に一人、見知らぬ男がいた。

 コーの世話で忙しくて、それどころではなかったのだ。

「ええと…」

 桃は、後方をかえりみた。

 眠っているコーの横で、話をするのも気が引けたのだ。

「夫人に、応接室をお借りしています」

 わざわざホックスを間に立て、女性の部屋での話ではなく、応接室の手配まで済ませている。

 非常に丁寧な根回しだった。

 少なくとも、クージェのような不躾な人間ではないようだ。

「では、そちらで」

 桃は、怪訝に思いながらも、彼らについて応接室へと向かった。

 リリューも背が高いが、この青年は彼よりもうちょっと高いのではないだろうか。

「クージェリアントゥワスに頼むつもりだったんですが、断られました」

 応接室。

 母の絵のあるそこで、桃は夫人の息子を袖にした。

 それと同じ場所で、その事件を揶揄されると、桃も恥ずかしい。

 勿論、この青年がどこまで知っているかは分からないが。

 そんな恥ずかしさも。

 彼が言った言葉で、全て吹っ飛んだ。

「私の名は…エインライトーリシュト=テイタッドレック=キルルスファイツです」

 何の、心の準備もしていなかった。

 テイタッドレック。

 桃が、決して忘れるはずのない名。

 桃の──ひとつ下の弟。
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